ゲームに没頭してしまう子どもが立ち直るためには
不登校になっている子どもを多く見ていると、一口に不登校といっても様々な状態があることに気づかされます。
その中でも、ゲームに没頭してしまっている子ども、というのも少なからずいるんですね。
親御さんの立場からすれば印象の悪いものですし、行き過ぎれば悪影響を伴うこともあります。
やめさせることも容易ではありません。
しかし私は、毎日何時間もゲームに没頭しているような子どもでも、完全にお手上げ、とは思いません。
むしろ周りからの働きかけによって、必ず目標を見つけ、驚くほどエネルギーを注ぎ込める人間だと考えています。
まずは、ゲームに没頭してしまう理由から考えていきます。
ゲームに没頭する理由1「目標を与えてくれる」
「さらわれた姫を助けにいく」「世界を救う」など、
ゲームはプレイする限り、受動的に目標を与えてくれます。
そして「ブロックを並べる」「敵を倒しに行く」など、手段も明確化されています。
現実では、持つべき目標というものがなかなか見つかりませんし、その手段も調べたり考えてやらなければなりません。
そのプロセスに気づかず、エネルギーを持て余しているからゲームに没頭するのではないでしょうか。
ここまでの説明で、腑に落ちない点があると思います。
それは、学校や親御さんが与えた目標からはなぜ目を逸らそうとするのか、ということでしょう。
テストで良い点を取る、ということは目標にならないのでしょうか。
次の項へ進みます。
ゲームに没頭する理由2「現実における目標への疑心、絶望」
子どもが判断しているのは、その目標に向かって頑張る意味があるかどうかだと思います。
ゲームは、仮想空間の中で「世界を救ってみんなから感謝される」など、現実では起こり得ない目標、達成感を与えてくれるものもあります。
しかし、現実では、残念ながらそういう期待は中々持てないものです。
つまり、例えば勉強そのものがつまらないということではなく、その目標に向かって頑張ることに意味があると思えないのです。
宿題をやったことも「当たり前のこと」と捉えられるし、むしろやらなかったら怒られるぐらいですから。
ゲームに比べて、あまりにも報われないとさえ感じられるでしょう。
ゲームに没頭する理由3「現実への恐怖」
あるいは恐怖心などが起因となっているケースです。
失敗経験を繰り返し、「現実ではいつも失敗する」という刷り込みが行われています。
そして、ゲームなら大丈夫、ということが意識的にせよ無意識にせよ感じ取っているのだと思われます。
窘めたり、咎めることに意味はありません。
定めるべき目標が見つかっていないのに、「ゲームをやめなさい」といってどうにもなりません。
仮にやめさせることができても意味はない、ということをわかっていただけたと思います。
「現実はつらい・つまらないけれど向き合っていかなければならないんだ」
などと、窘めることにも意味はありません。
なぜなら、ゲームをやっている理由そのものが、現実に対する恐怖や、何も期待できないことが嫌で嫌でしょうがないからです。
それを我慢できるならば、はじめからこうはなっていないでしょう。
彼らは、エネルギーを持てあますほど、有り余っている状態である
逆に言えば、ゲームに没頭する、ということは何か成し遂げたい!というエネルギーが有り余っている証拠だと私は考えています。
窘めたり、咎めたりするのではなく、彼らの目指すべき道を一緒に探し、足の枷を外してあげることで第一歩を踏み出すことができるのです。
そのための課題点は3つあります。
「目標を見つける」「現実に対する期待感を持つ」「その期待感が、自身の持つ恐怖心を上回らなければならないこと」
まずは目標を見つけるということです。その目標は、本人の希望・期待にふさわしいものであることが重要で、
恐怖心を上回って行動に繋がることが理想です。
困難なことかもしれませんが、周囲が驚愕するほど活躍できるのではないかと私は思います。
彼らと、彼らがエネルギーを注ぎ込める目標・場所を探してみてはいかがでしょうか。