よく言われる「ペット扱いされる子ども」と「若者の無気力」の関連性

子どもがペット扱いされている───

昨今、その賛否について度々取り沙汰されることがあります。

しかし、果たして「ペット扱い」とは具体的に何を指すのでしょう?

言及しているところは数あれど、特に決まった定義もなく使われているような気がします。


多くの記事を俯瞰していると、二つの共通点が見えてきました。

それは、「子どもを束縛すること」と「子どもを放任すること」です。

一見相反する共通点

「束縛」と「放任」は、まったく真逆のことです。

ですが、これが子どもを無気力たらしめている原因かもしれません。

いわゆる「現代の若者の無気力」です。

これは、「学習的無力感」と深く関係していると思われます。

学習的無力感

教育心理学の分野において、学習性無力感という言葉があります。

一体どういうものなのか?過去に行われた実験を紹介します(少々残酷な内容です)。

縄で縛り付けた犬に電気ショックを与えると、最初のうちは抵抗するが、

何度も続けていくと諦めるようになってしまいます。これを「学習的無力感」と言います。

その後で縄をほどいた後で電気ショックを与えると、逃げられる状態にもかかわらず抵抗しようとしなくなります。

逃げられるというヒントを与えた後でも、やはり犬は逃げようとしないのです。

人の場合

例えば、子どもに対して遊んではいけない、ゲームしてはいけないと、必要以上に「束縛する」行為をすれば、

子どもも無力感が学習されてしまうのです。

(しつけを行う必要がある以上、ある程度の制限は必要なのかもしれませんが)

それと同時に「放任する」行為がされても、子どもは何も行動を起こす気にはなれないのです。

何故なら、「何をするにしても束縛されてやらせてくれないんじゃないか」と思うようになり、

ひどい状態まで行くと「自分は何もできないんじゃないか」という思い込みにすり替わってしまいます。

正確には「ペット化」ではない

このプロセスは「しつけ」ではない以上、正確には「ペット化」という言葉は適切ではないでしょう。

しつけであれば、言うことを聞くようになりますが、この場合は言うことすら聞けなくなる状態、

むしろもっと深刻な状態なのです。


次回は、無力感の植え付けとしつけの違いについて書いていきたいと思います。